25 Oct 2013

i don't know what to wear in the future.

着たい洋服が分からない時期に入りました。

自分が迷っていたり迷走の渦の中にいるときに
自分のこういう小さな行動の変化で自分の状態と進みたい方向を読んだりする。
例えば、本屋に行きたくて行っても、買いたい本が思いつかずに立ち尽くすこと
例えば、美術を観にいこうと展覧会を探しても何を見たい気持ち変わらない時


そういう時は、自分で自分が分からない時
自分がどこかに方向を変えたくて
必死に探し始めたことと、次へのヒント探し中だ。

ヴィンテージと呼ばれるお洋服の定義に20年以上前に作られた仕立ての良いもの。
というものがある。

もう31歳でしょ。
20年たったら51歳。
そんな時代になっても子供や若い友人とかに着せてあげられるような
そんな洋服を持っていたいなと思ったのだ。

かっこつけずにいうと
アメリカへの移住に際して持っていく洋服とかを考えていたら
安い洋服、ファストブランドのものはじゃんじゃか捨てられる
思い入れナッシング。
自分の中での価値が低い事という傾向を発見。

それと、、もういいかげん。
あんまりきれいでもない足をださない勇気をだそうかと。
それと、ヒール無し靴を履く勇気も。

時々、田舎やおばちゃんおじさんに見られる
昔流行った洋服の系統をずーーーっと着続けている人
自分が一番モテていた時の洋服やスタイリングが
一番良い、似合うと考えてしまう傾向があるらしい。

気を付けようと思います。















16 Oct 2013

mugendai

こんな時期に台風がきても楽しめるわけがない。
ちょっと寒くなってからの台風は好きじゃない。
濡れたら濡れただけ寒くていやだ。

引っかかっていた友達には他愛ない事連絡したら
そしたらもうすっかり嫌な気持ちの棘はとれた。

なんだかごめんよ。

彼の仕事がなかなか決まらない。
勤務地も決まらない。
LAかもしれないし、カナダかもしれない、モンタナかもしれないし、テキサスかも。
イギリスかもしれない。

デイビッドの仕事が決まった場所で、私は住むことを決めた。
私の仕事もデイビッドの仕事次第なのだ。
デイビッド優先なのだ。

私にはしてみたい、ついてみたい仕事の夢がある。
どうか仕事の選択肢の広い地域に決まりますように。

私はいったいどういう場所に住んで、
どういう仕事する人と
今後、一生を共にするんだろうか。

分からないということは、無限大に広がる自由を手にしているようだけど
不安で仕方ない
というのは自分以外にも該当するんだな。
発見。




15 Oct 2013

i don't know how to spend my time.

友達って難しい。
好きで大好きならなおさらのこと、思い通りに思ってくれていなくて
それが難しい。
なんて自分勝手な考えだろう。
だけど、浅いお付き合いの友達には何をされても特に腹は立たないものだ。



恋人が東京に引っ越してきた今年春からの5か月間
友達と会わずに恋人と時間を過ごした。

彼に東京での友達や知り合いが全くおらず
「私の為に東京に来た」「今後は離ればなれになってしまう」
という恋人の主張ステータスの狭間で
私は、友人との時間よりも恋人との時間を優先する事にした。
毎日帰宅時間が遅い上に、1週間の内の休日が合わない
外国からわざわざやってきてくれた恋人に
寂しい思いをさせないようにと私が決めたことだった。

それまで友人と過ごす時間をとても大切にしてきた。とても。

何しろ恋人がいなかった期間が2年ほどあった上に
恋人ができてもしばらくは遠距離恋愛であった。
週末や平日は友達によって寂しさを埋めていたのかもしれない。

いや、それは寂しさを埋めるなんてチープな物以上に
とても、あの時の私には必要な要素をたくさんもらった。
見えない将来の目標だったり、どうなっていない、こういうことをしたい
そういう未来像のベースを友達と話して作り上げていたし
彼らと時間を共有する中で元気をもらっていた。

結婚なんてしなくて良いと思っていたし
結婚するならみんなの結婚を見届けてから独身謳歌した36歳くらいでしたい
そんな風に思っていた。


二つの事を器用にしようとしても
結局どちらかが疎かになり、信頼を失うというパターンを繰り返したきたので
恋人が東京にいる間は一緒に過ごす、として期限付きで恋人を優先した。

9月、恋人が本国に戻り
恋人と離れるのことは寂しかったが
友人たちとの時間が戻ってくることは非常に楽しみにして帰国した。
が、現実はそうは思い通りにいかなかった。
いつもいると思っていた親友たちは、親友たちの新しい時間をもう既に見つけていた。

友達の度合いとは一緒に過ごした時間なのだろうか
近況の報告頻度なのだろうか、連絡頻度なのだろうか

私は違うと思っていた。
自分の身に幸せなことが起きたとき
一番に伝えたい、共有したいと思う人であって
悲しい事が合った時に、時間はかかったとしても
本当の話を話したいと思える人たちであった。
その気持ちが重いの強さだと思っていた。
違ったのかしら。

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とかとかうだうだここまで書いてきて自分が自分にめんどい奴だと思ったよ。

なーにいっているだ。
だったら本人に伝えろよ
今は無理して友達と思ってた人に連絡取ることないよ、
また時期が来れば自然とつながるよ
とも思う。
まーったく、一人で勝手に考えて答えだしてうじうじ嫌いになって
勝手に考えすぎてやっぱり好き!
ってこのパターン定例化してます。恥ずかしい。
思春期クライシス。

なんか最近私は焦っているのだ。
一人、誰も知らない、外の国で家族を持って
いつ帰るかも分からずに行く事が不安で。
何かの支えがほしいのかもしれない。
今後絶対に訪れるであろうホームシックな日々が怖いのかもしれない。

この週末なんて、非常にやばい夢をみた。

昔大好きだった人が随分とリアルに「夢」にでてきて
年上の包容力ばっちりに、
「なんも心配することないでしょ」って言ってどこかの景色を一緒に見てた。

何とも言えない満ち足りた気持ちで目覚めた。
ごめんよ。マイフィアンセ。君は5歳年下。
いや、待てよ。年齢の問題じゃあないな。
年上だった昔の好きな人のあれは魅力だな。








7 Oct 2013

アメリカの印象

生まれて初めてアメリカに行ってきた。

私は今までアメリカに行ったことがない。
留学も別の国だったし
旅行先も東南アジアか、ヨーロッパ、
住んでみたい国もヨーロッパ圏であった。

それがなんの縁かアメリカに。。
私のアメリカの印象の変遷は
XGIRLとかMILKFEDとか、KIDSとか、スケートボードDOGTOWNとか
そういうアンダーグラウンドカルチャーの場所と
HIPHOPや兵隊やパーティやバーニングマンやビートニク世代を経て
いるので、なんかアメリカはもはやもうなんか世界のいじめっ子みたいな
絞ってもおもしろいものは出てこなくて
オリジナリティがなく、いつもどこかの国の要素を引っ張っては
商業化してばらまいている
肥満と金持ちへの執着と銃社会
とにかく、嫌な印象しかなかった。

LAに今後住むかもしれないからその下見として訪れたアメリカは
思った以上に快適だった。

アメリカで何を一番驚いたかというと
私が私としていることに町の人がなにも怪訝そうにしないこと。
留学していた国ではアジア人であることを理由に嫌な思いもした
ヨーロッパでもなにか、観光客という線を引かれて話をされた
そういった印象がどこに行ってもなかったのが印象的。

正直、住むと決めた場合
もはや、日本の国内に引っ越すのと、外国のどこに引っ越しをしようと
あまり変わらないなと思った。
調べることも、しなければならないことも、心配する事も。
朝起きて仕事して夜ごはんを食べて寝る。
そういう生活を好きな人とできるんだったら別にどこでも同じだね。

環境を変えるワクワクも一緒。